終日半径5メートルの雑記。

アラサーのある程度せきららな記録。

凜として孤独

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前回の記事、若干くどくどくどくどしてましたね。すみません。自分でも眩暈がして読み返せないくらいです。でもってたぶんずっとこんな感じですかね。まあひと通りくどくどぐよぐよしたら落ち着いて、また読んだ本とか観た映画とかの話になるかと思われます。こればかりは自分でも着のみ着のままやっているので、どうなるかわかりません。ずっとくどくどかもしれないし。ずっと中身がないかもしれない。

 

話題がないという不可避

引きこもり歴10年になる私、堂々と友達と呼べる人がいません。・・・勝手に呼んでいいのなら2人ほどいますが、年に2~3回連絡を取り合うだけの仲です。どちらも高校の頃の友達でどちらも中退者。一人はシングルマザー(在学中におめでた)、もう一人はフリーター

最近どうよ? 的な会話をするわけですが、私の身の上には滅多な変化は起こりませんので、世を揺るがしている事象について熱弁をふるいながら(嘘です)ただただ暑いね、あるいは寒いねと言っています。

引きこもりはまず話題がないのです。では趣味のことでも、と思うけれども趣味も合わない。自発的にする話が気象のことくらいしかないって悲しいですよほんと。・・・まあ自業自得か。

 

親友ができない

学生の頃でもそうですけど、昔から趣味や好みがばっちり合う友達はいなかったですね。出会ったことがないんですよね。引越しが多かったせいもあるかもしれません。でも、きょうだいですら好みはバラバラだし。そりゃネット上にはいくらでも検索すればいるでしょうけどね。みんなよくぞそんなに親友と呼べる奇跡に出会えるなと思ったりします。それとも私の考える親友の定義がそもそも間違ってるのでしょうか。

・・・なるほど。考えてみればそうですね。好きなモノや価値観が一緒とかいう薄っぺらな条件じゃなく、ココロの熱いやり取りが親友を生むのでしょうね。ジャイアン曰く「心の友よ」のように。なんだか凹んできました。

そもそも好みが完全に一致とかってあり得ないんだ。リアルなやり取りの中で好みをぶっちゃけてそれが否定されたときの悔しさ空しさ侘しさ哀しさを私は良く知っている! (・・・え、誰?)

 

というわけで、この話、長くなるのでまた次回。